始まりのメモ

唐突にブログを書くことにした。これは誰かに向けて発信するタイプのものではなく、自分の内面を整理しつつ、記録しつつ、かつそれを公にする(自己開示というらしい)練習をするためのものだ。よって自己満足以外の何物でもない。また、人に読みやすいように文をきれいにしたり、無理してジョークを織り交ぜたりはしないで、心をそのままぶつけられる場所として利用することとする。

 

さて、私は今自分が何をしたいのか、何を言いたいのか、気持ちが離れてしまって手に負えなくなっている。いつもぼうっとしていて、他人の話が失礼だが本当にどうでもよく感じられ、全く耳に入ってこない。授業も全く興味がない。家に帰ったら何をしたわけでもないのに疲れた感じがして、やらなくてはいけないことを後回しにしてベッドに倒れこみそのまま寝てしまうか、ゲームを何時間もやったりYouTubeを延々見続けたりする。そしていつも後悔と不安に襲われて、そのくせ何もせず、ただ日々を過ごしている。このままではまずいと思っていても行動できない。したくない。他人に言うと甘えだと言われそうだが、自分でもそう思う。じゃあやれよ、となるがなぜか行動したくない。なぜだろう。

 

その理由のひとつかどうかはわからないが私はいまだに高校時代の栄光を引きずっている。今、私と同じような境遇の友達は高校の友達と遊び倒すことで発散しているようだが、私はそれはできない。高校の友達に会って、昔の私からは変わった(悪いほうに)と思われるのが悔しい。たまらなく悔しい。私は昔上にたち、尊敬され、そんな自分を自分でも好きだったのに、今の嫌いな自分を見せたくない。それに、みんなに「まだ、そんなこと引きずってるの?」「そんなの大したことないよ」「甘えるなよ」と言われるのが怖い。そもそも、自分自身が自分にそう思っているし、同じ価値観をもっている高校の友人たちもそのように思うだろうから、当然だ、と思う。だが、このよくわからない負の気持ちを無視して何かをガンバってみたところでまた負のループに陥るだけである。この気持ちをなかったことにしたくない。と、いうところのこの気持ちってなんだろうか? 「つらかったね」と言ってほしいのに、親も、かつての親友も、「はやく行動しなよ」「そのぐらいなんだ」という事しか言ってこない。いや、聞いてくれるだけでありがたいと思うべきなのか。だが今日は親にまた漠然とした不安を打ち明けたら「またそのことか、面倒くさい」「聞いてくれる友達は疲れるだろうよ」「若いころはふつうもっと忙しくしているものだ」という答えが返ってきた。口調もすごく強くて、なぜ私は注意されなくてはならないのだろうと思えてくる。もうこの人は絶対にわかってくれないと思った。しかし当然だ。私は完全に今の状況に甘えている。親に何百万も学費を払わせておいしいご飯を食べさせてもらって家事も何一つ手伝っていない自分ははっきり言って駄目人間だ。だけどやりたくないものはやりたくなくて、このよくわからない考えすぎて重い今のこの状態を、なかったことにしたくはない。

 私はこのもやもやに、答えがほしい。

 

書いていて本当に自分は何に悩んでいるのかわからない。なぜ行動できないのか。その理由には過去の消化しきれなかった感情が引っかかっている気がして、無視できない。と、今書いていてとりあえずいきついた。

 

つづく