過去の気持ちをひきずるメモ①

とにかく、甘えてんじゃねえと言われようが、私は正直なことを書いてみることにする。もうこの作業をしないことには、今の混沌として自分の気持ちもわからない思考の世界の住人をやめられないと確信したからだ。

 

過去のこと。大学受験をやって、(狭い世界だが)トップにたつ、という蜜、友人(以下A)を助けてあげてるという蜜(優しいヒーローごっこ)。甘い生活。この上なく充実し、もう本当に幸せの頂点だと当時から思っていた。これ以上の幸せはないから、これから先の人生は下り坂だとそのころから勝手にがっかりしていた。(なんて暗いんだ)

 しかしいつの日からか、おかしくなり始めた。Aに負けるのが嫌だった。今でも忘れない決定的な出来事がある。私が続けていた英単語帳はAが途中で投げ出したと言っていた。私はそのことを密かに誇りにしていた。「ほらね、投げ出さずやってた私のほうが勝つんだよ」といつの日か言える日を待って私はその単語帳をこつこつ続けていた。

※ちなみに英語の成績はAより私のほうが良かった。だから、正確に言えばAが単語帳をやめたことを「そこが私とあなたのちがいだよ」と言ってやりたかったのかもしれない。我ながら本当にねじ曲がりすぎて自己嫌悪どころの話ではない。

しかし、だ。投げ出し宣言から何か月もたったある日、私はAがその単語帳を当然の顔をしてやっているのを目の当たりにした。しかも決定打は、私の単語帳よりも何倍も汚れていて、ぼろぼろなのだ。使い込まれていた。私にはやめた、と言っていたが本当はずっと続けていたのだ。当時の私は今よりもさらに自分の気持ちに無自覚だったため、その時はなんだかわけがわからないまま頭に血が上った。帰り道、地面をけるように強く踏み鳴らして歩いたのをよく覚えている。怒り、何よりくやしさが頂点に達していた。誇りを頭から押さえつけられ、それまで見下していた相手に逆転されるような、その見下していた期間ぶんだけ倍返しで見下されたような気持だった。一番しっくりくる言葉は、私のボキャブラリーの中では「屈辱」だろう。

 

。。。と、この出来事はいかに私がAに対してあきれ返るほどくだらない闘争心を抱いていたかを物語っている象徴的なエピソードだと思う。繰り返すが私のほうが英語の成績は良かったし、まして文理も違う、目指す場所も違うという状況下で、なぜあれほどに入れ込んでいたのだろう。そこには、もうひとつAに対して抱いていた重要な気持ちがあると思うので、次回に書いていくことにする。

 

 

始まりのメモ

唐突にブログを書くことにした。これは誰かに向けて発信するタイプのものではなく、自分の内面を整理しつつ、記録しつつ、かつそれを公にする(自己開示というらしい)練習をするためのものだ。よって自己満足以外の何物でもない。また、人に読みやすいように文をきれいにしたり、無理してジョークを織り交ぜたりはしないで、心をそのままぶつけられる場所として利用することとする。

 

さて、私は今自分が何をしたいのか、何を言いたいのか、気持ちが離れてしまって手に負えなくなっている。いつもぼうっとしていて、他人の話が失礼だが本当にどうでもよく感じられ、全く耳に入ってこない。授業も全く興味がない。家に帰ったら何をしたわけでもないのに疲れた感じがして、やらなくてはいけないことを後回しにしてベッドに倒れこみそのまま寝てしまうか、ゲームを何時間もやったりYouTubeを延々見続けたりする。そしていつも後悔と不安に襲われて、そのくせ何もせず、ただ日々を過ごしている。このままではまずいと思っていても行動できない。したくない。他人に言うと甘えだと言われそうだが、自分でもそう思う。じゃあやれよ、となるがなぜか行動したくない。なぜだろう。

 

その理由のひとつかどうかはわからないが私はいまだに高校時代の栄光を引きずっている。今、私と同じような境遇の友達は高校の友達と遊び倒すことで発散しているようだが、私はそれはできない。高校の友達に会って、昔の私からは変わった(悪いほうに)と思われるのが悔しい。たまらなく悔しい。私は昔上にたち、尊敬され、そんな自分を自分でも好きだったのに、今の嫌いな自分を見せたくない。それに、みんなに「まだ、そんなこと引きずってるの?」「そんなの大したことないよ」「甘えるなよ」と言われるのが怖い。そもそも、自分自身が自分にそう思っているし、同じ価値観をもっている高校の友人たちもそのように思うだろうから、当然だ、と思う。だが、このよくわからない負の気持ちを無視して何かをガンバってみたところでまた負のループに陥るだけである。この気持ちをなかったことにしたくない。と、いうところのこの気持ちってなんだろうか? 「つらかったね」と言ってほしいのに、親も、かつての親友も、「はやく行動しなよ」「そのぐらいなんだ」という事しか言ってこない。いや、聞いてくれるだけでありがたいと思うべきなのか。だが今日は親にまた漠然とした不安を打ち明けたら「またそのことか、面倒くさい」「聞いてくれる友達は疲れるだろうよ」「若いころはふつうもっと忙しくしているものだ」という答えが返ってきた。口調もすごく強くて、なぜ私は注意されなくてはならないのだろうと思えてくる。もうこの人は絶対にわかってくれないと思った。しかし当然だ。私は完全に今の状況に甘えている。親に何百万も学費を払わせておいしいご飯を食べさせてもらって家事も何一つ手伝っていない自分ははっきり言って駄目人間だ。だけどやりたくないものはやりたくなくて、このよくわからない考えすぎて重い今のこの状態を、なかったことにしたくはない。

 私はこのもやもやに、答えがほしい。

 

書いていて本当に自分は何に悩んでいるのかわからない。なぜ行動できないのか。その理由には過去の消化しきれなかった感情が引っかかっている気がして、無視できない。と、今書いていてとりあえずいきついた。

 

つづく